上野にある両大師は寛永寺の隣にあり厄払いもできる

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上野にある寛永寺の一部

上野公園にはたくさんの寺社仏閣が点在するが、そのほとんどが寛永寺の管理下におかれているという。だから弁天堂や五条天神社なども寛永寺が色々とやっているらしくあのクジラの模型はおそらく関係がない。 その寛永寺のすぐ隣、上野公園の北方にあるのが両大師と呼ばれるお寺である。お寺という表現が適切かわからないが境内や門があり寺というカテゴリーに当てはめるのは間違いではない。それどころか そんじょそこらの寺よりもしっかりした様式を備え古くから重要な場所として守られてきたことをうかがわせるくらいである。

門をくぐって入ってみるとどこもかしこもしっかりしている。しかし人があまりにいない。広い境内はところどころ木々が植えられ家庭菜園でもやっているのかというくらい整然とした植物たちを見ることができる。 この時期は梅の季節ということで梅の花が咲いていた。梅の赤い花は春がこの上野の地に少しづつ歩いてきていることを教えてくれる。この花をみると心なしか少しからだが温かくなった気がするのだ。 両大師の開けた境内は太陽の光を燦燦と受け止めるのだが、隅々までいきわたる日光が本堂のみならず冷たい土塊にまでぬくもりを与えているように思えた。

アクセスは上野駅から

両大師に行こうと思うなら上野駅からの行き方がおすすめである。距離的には鶯谷からも同じ程度だが、上野公園を散策がてら通りすぎ両大師へと行くと目の前の風景が歩を進めるたびに変わってその変わり映えが面白い。

ちなみに両大師橋なる橋があり夥しい数の路線を跨ぐ形で上野の東側から架かっているらしい。名前を冠している通りそのまま両大師へと道が続いているはずである。下谷方面から向かう際はこちらのアクセス方法も利用可能。

またの名、もしくは本名輪王寺

両大師は正しく輪王寺と呼ばれるみたいでネットでくぐるとそんな体裁で検索結果が表示される。輪王寺と漢字をそのまま読んでもよくわからない。さながらどこかの王様、日本で言えば徳川家に当たるのだろうか。 輪はわっかのことだから、その王様がフラフープでもやっているのだろうか、というのは冗談なので読み飛ばしてほしい。しかし考えれば考えるほどわからなくなる輪王という文字である。

これを書いているときにはじめて知ったのだが寛永寺というのは徳川家ゆかりの寺であるらしい。何でも家光あたりから関係があり歴代の徳川の皆さんもお世話になっているというのだからこれはうっかりだ。 しかし徳川チックなところは何も感じずしかも彰義隊の戦いであっちこっち消失したというのだからいまいちぴんと来ないのが実情である。いやしくも彰義隊は新政府軍と戦っているのだから幕府よりだと思うのだが そんなこんなで燃えてしまうのだからなにやってんだよ彰義隊。

なんで輪王寺と呼ばれるのかはわからないが、両大師の境内にはたくさんの地蔵やお堂が存在する。たとえば阿弥陀堂。中にはたくさんの仏像が納められているのですが寒い中これをまじまじと見ていたのは 私だけだった。一人で複数の仏像とにらめっこする私は傍から見れば不思議な風景に映ったことだろう。

両大師は厄除けもやっているみたいです

ご利益とかお守りとかはまったく興味がなくいつもすっ飛ばしてしまう私。もちろんこの日も両大師が何のパワーを持っているのかということはさらさら興味がなく縁に追いやられた地蔵たちがかわいそうだと 写真を撮ってやる始末である。

さしあたり一瞥した感じでは厄除けを取り扱っているみたいでところどころたっているのぼりに案内がてら書いてある。何の厄を払うのかは定かではない。厄年とか厄介とか厄日だといって運がいいとか悪いとか 人は誰でも気にするけどそんな時は両大師の厄払いを利用してみるのもいいかもしれない。しかし壁にぶち当たったときその解決策は意外と近くにあるものだ。乗り越えるだけが前に進むことではない。 回り道をしてもいい。壁が倒れるまで待ってもいい。そうやって自分なりの壁との接し方が目の前の道に明るい光を照らす秘訣になると思われる。それでもだめなら輪王寺両大師の厄払いである。