堀切で見つけた猫はいかにも東京下町の猫

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葛飾区堀切は下町っぽい

白鷺公園に立ち寄った後南へと向かい住宅街に迷い込む。よくある話かどうか知らないが東京で道に迷ったときスカイツリーの見えるほうへ行けばスカイツリーへたどり着くということはないらしい。 これだから住宅街は難しい。やはり人の流れが見えないというのは自分の位置を知る上で不利だしどこへ向かうべきかもわからないし周辺に何があるのかもわからない。 目の前に見えるスカイツリーはいかにも上野方面だから私はそちらへ向かう。と、猫がいた。

茶色の猫で一瞥するとやや年のいった感じの猫か。アスファルトの上で香箱すわりをしながら私のほうを見ているようで見ていない。正午をやや過ぎ日差しが強いものの寒さ厳しい2月に住宅の日陰で休むとは寒さ知らずの猫なのだろうか? 道路の真ん中でのんびりくつろぐのだからこの住宅街を知っている猫である。そういえばこの堀切は足立区によくあるような喧騒、特に交通の喧騒をまったく感じない。どこか下町と読んでいいような雰囲気が漂っている。 亀戸の雰囲気と比べれば情緒に欠けるがゆっくりとした時間は似ているような気がした。

猫はピクリとも動かなかった

尻尾をたててつってんつってんと道を歩き塀に飛び乗り気ままに歩く風景が撮りたかった。だから寒い中少し待って猫が動くのを待ってみる。アスファルトに照りつける光は私を暖めるにはあまりに足りない。 住宅街という土地環境においてカメラ片手に突っ立っていれば不審者扱いされる。そんなダブルパンチの悪条件の中少し、ほんの少し待ってみる。猫よ、いかにも下町をわがもの顔で歩く姿を見せておくれ。

結果、猫は動かなかった。猫は気ままな動物であると感じたしそれはどちらかというと再認識に近い。しかしこれが下町の猫のあり方なのかもしれない。完敗だ。そんな下町のあるべき風景をカメラに収めることのできない私が悪いのだ。

私は堀切を後にした。猫は動かず目で追ってくれているのかも定かではない。気だるそうな表情からうかがい知ることのできるのは彼が猫であるという事実だけである。目指すは上野公園。梅の花が咲き春の足音が聞こえるだろう。