帝釈天は東京の東部葛飾区柴又にある。周辺は商業施設という寄居住宅街が広がり昔ながらの建物も多い。そのせいか帝釈天周辺を歩いて感じるのは昔っぽい空気が漂っているという感じである。 東京のはずれにあり辺鄙な感じがするが帝釈天の認知度は高い方で外国人観光客もちらほら来るほど。世界的に見ても有名と言っては言い過ぎかもしれないがそれだけ有名で人々に親しまれているのは確かである。
交通機関は電車が主流だと思う。車で来ても駐車場に困る感じで田舎のスーパーマーケットのようにスイスイ駐車できるスペースは少ない。柴又駅には寅さんがいる。金ぴかのスーツが決まっている。そんな寅さんと二人三脚を組んで葛飾柴又を盛り上げているのがこの帝釈天と言っていいかもしれない。東京都心のような大きな危ない感じの道はなくゆったりとした道が縦横無尽に張り巡らされる。 徒歩で十分散策できる点も帝釈天の魅力と言っていい。
境内はバリエーション豊かである。精巧な彫刻と威風堂々としたたたずまいの二天門を始め御神水や松、帝釈堂、浄行菩薩など多くの人が親しみやすいアトラクション?がある。境内は広い。ただっぴろい。参道には商店街が連なり昔ながらの風情を守った店店が多い。売られているものもいかにも参道といった感じで訪れた人は帝釈天感を満喫できる。
私が主に訪れたのが2月の寒い時期で帝釈天は生まれて初めて訪れる。梅の花が咲こうかという季節で日差しの仄かな温かさを感じられるころである。まだ人々は防寒着を着込む。そんな葛飾帝釈天で多彩な写真を撮ったつもりである。
門前の大鐘楼と二天門の造りにも驚かされる。寒い寒い2月になんで俺は行ってしまったんだろう。 大鐘楼は東京屈指の規模であり二天門の趣向の凝らされた造りは全国的に見ても稀有である。
帝釈天の門前には多くの商店街が店を構える。その多くは嘗ての時代の風情をそのままにした造りになっており商店街全体がいかにも昔の姿をしていた。
ただでさえ他に追随を許さないであろう帝釈天の二天門の造り。二天門の細部を見てみると精巧緻密に鏤められた装飾を見ることができる。
帝釈天を満喫しようとずんずん進む二天門を潜ると帝釈天の開けた境内が現れる。そして境内のあちらこちらに由緒ある地蔵や史跡があり細かに見ていくのも骨が折れるほどだ。
帝釈天の手水舎の後ろ側にある苔の生えた石に無数の白い蛇の置物を見つけた。口を開けた蛇はちょうど参拝者に顔を向けるようにして全部同じ方向を向いていた。
御神水のほど近くにある浄行菩薩。帝釈天に参拝した人々の多くがこの浄行菩薩に水をかけていた。遠目から見ても凛とした雰囲気がする。
御神水は帝釈天の沿革を知る上で欠かせない。何でも由緒ある水なのだそうである。コーラとサイダーが好きな俺には関係のない話である。水は水。神が作ろうが水は水。