葛飾区堀切を歩いていたら見つけた小谷野神社

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葛飾区の綾瀬川近くにあった小谷野神社

小谷野の神社を訪れたのはまったくの偶然。綾瀬から当てもなく南下し目に入るものを取り敢えずカメラに収め東京の北側界隈の風景に浸っているという感じだった。 外は澄み切った青空が広がっているが冬だから寒さは格別で日陰に入るのが何となく嫌になる。極力日の光を浴びながら取り敢えず歩いて行ったわけだ。

そんなこんなで発見したのが小谷野神社。菖蒲園で有名な堀切で迷路のような住宅街を猫にバカにされながら歩いて見つけた感じである。といっても最初に見たのは小谷野神社ではない その隣の三峰神社と書かれた小さな建物をその敷地だ。

小さなところは良くある稲荷神社に似ているが、ここは水天宮と呼ばれているらしい。そんな謂れか大きな錨が2つきっちりと並べて石の上に置いてある。どちらも錆びついてタコウインナーのように足を広げ敷地の片隅に置いてあるのだ。 隣の神社に比べれば確かにインパクトに劣るものの鳥居や祠のきれいな装いから大事にされていることが窺えた。

境内の装いからここ堀切の人との関係を考える

三峰神社水天宮を後にし小谷野神社の境内に入ってみる。鳥居から直線状にそれらしき建物は見当たらず手水舎や灯篭があるだけだ。 手水舎の柄杓がきっちり等間隔で並べられているから驚く。これは俗にA型の人間がやることだと巷間では言われるが俺には全く関係のない話。 しかし経験則からA型の人間とは反りが合わないことが多かったように思う。というより几帳面な人間がダメだった。

因みに小谷野神社周辺は賑やかというわけではない。尤も葛飾区の堀切がそんな賑やかな場所というより住宅街であるから静かであるのもうなずける。 そしてそこいらの神社の如く参拝者が多数詰めかけるという神社ではなさそうだから今日も人っ子一人猫の子一匹いなかったというのが目の当たりにした現状。 おそらく地域密着型で必要な時に必要とされる神社であると推察したわけだ。

拝殿でわずかながら参拝

小谷野神社の拝殿を正面に見据える。よくある赤色の柱や白塗りの壁、そして緑青色の屋根と神々チックな形。これは私の分類のなかで「よくある型」に振り分けられる。 だがそれは陳腐を意味しない。外見こそどこにでもあるがその佇まいや境内の手入れのされよう、賽銭箱の様子など諸々からこの神社が何であるかを知らなければならない。 モノだけを見るのではない。モノを通して見えてくる人の心を読まなければならない。ありきたりに見えても必ずこの葛飾堀切の人々に愛されているに違いないのだ。

参拝を終え漫ろに境内を散策。紅葉っぽい植物を発見し奥にあるのは宝物殿か。この時期梅の花がきれいだが小谷野神社にはなかった。そこがよかった。 ありきたりな風景を求めて偏見をまといながら歩く自分の見えるものは歪んでいた。あるはずの色彩のないここの境内の風景は質素で静かな時間を大切にしている。